魔女の宅急便でユーミンも歌っていたが、小さい頃は神様がいて不思議に夢を叶えてくれていた気がする。
幼心にうっすらと自覚していたし、無自覚な範囲でも世界、環境、大人から愛されていた様に思う。
小学4年生の時、上履きを無くした事があった。日課だった徘徊中、おそらくフラフラほっつき歩いてる時にうっかりどっかに失くしたのだと思うが、何気なく相談した教頭先生は凄く真剣に私の話を聞き、校内を探し、生徒に聴き込みをしてくれた。
教頭先生はおそらくイジメを疑ったのだろう(もしかすると自分の知らないところでマジで誰かからイジメられていたのかもしれない)。確か上履きは教頭先生が見つけて手渡してくれた様な気がする。
失くし物ばっかりしていた私にとって上履きを無くすなんて事は大したことではなかったが、真摯に対応してくれた事が子どもながらにとても嬉しかったのを覚えている。
そんな幼い頃の私は、いわゆるロリコンから執着されることが多い子どもだった、
告白してくるロリコン、ファンと名乗るロリコン、土下座しながら「自分の頭を踏んで欲しい」とお願いするロリコン、ポストに花束を入れるロリコン。バリエーションが豊かであった。
いや〜〜〜これで私が成人済みかつ相手がイケメンだったら完全夢物語逆ハーレムの極みって話でおわりだったんだけどな?
そうじゃなかったからな。
因みに私が美少女だったとかそういう事ではない。全くない。
何故ロリコンに好かれていたのかは今でも大きな謎である。気になる人はコナンくんか伊沢拓司でも呼んで来てこの大きすぎる謎を解いて欲しい。
話が逸れた。まぁそんなこんなでロリコンから謎に目をつけられがちだった幼い私だったが、危険な目に遭う事は無かった。
そもそも小さい頃はロリコンをロリコンと認識する事なく生きており、世の中には変な大人がいるなぁぐらいにしかおもっていなかった。
10代後半になった頃にようやく「アレはもしかして...ロリコン?🤔💡」と言った具合に気付きを得る具合であった。
私が何も知らずにいられたのは、大人たちの多大なる努力と庇護のおかげであると気が付いたのはもう少し大人になってからだ。
両親や教頭先生、近所のおじさんおばさん、警察官など、小さい頃の私の周りの大人達は私が預かり知らないところで、機動部隊を組み様々な特別収容プロトコルに沿い、私の身心をへの影響を考慮しカバーストーリーを流布するという、CSP財団さながらの動きをしてくれていたのだと思う(このくだり訳わからん人は飛ばしてくださいごめんなさい)。
とにかく、あの頃の私の周りの大人は小さな私を色んなものから守り続けてくれていた。
で、今私は25歳である。
やばいね????????
あの頃の大人みたいに私なれてる?なれてないね、うん全然なれてないね。
これまで私はどれだけ自分本位に生きて来ただろう。
常に主観で世界を語り、勝手に失望して、自分がどれだけ恵まれているかを理解しようとせず、少しでも楽になるため、人生を放棄することをよく考えていた。
私が抱える苦しみを、私が軽んじてしまうなんて事はしたくないのだが、抱えた苦痛は免罪符にはなり得ない事だけは心に留めなければならないと、最近になってようやく思える様になってきた。
これからは自分だけではない、自分の大切な人の世界を守っていきたい。
大切な人が生きる世界が少しでも美しいものであるように、絶望してしまわないように。
彼岸でしゃがむのには慣れている。時には川辺で足が冷たくなるまで寄り添って話したっていい。
失ってからでは遅いのだ。
いまだって、朝が来るのが嫌でしょうがない。でもその理由を紐解いていけば、労働や狭い人間関係の悩み、変わりばえの無い人生が続く事への判然としない退屈しかそこにはなく、深い絶望は、今私の周りには幸い見当たらない。
「足るを知る」という言葉があるが、私もそろそろ無いものより持ってるものを数えた方がいいのかもしれない。
とりあえず、これからはどんなに退屈な日常に嫌気が差してもも変わりばえの無い明日が来る事を祈ろう。
あなたの世界が明日も廻りますように。