甥っ子ができた

 

結婚したら自動で年上の妹ができて、セットで3才の甥っ子がついてきた。 

 

私は核家族一人っ子。母方に至っては一人っ孫なので、小さい子どもの相手をした方がほとんどなく、親戚の子どもとか好き嫌い云々以前に、どう絡んだらいいのか全くわからなかった。

 

ぶっちゃけ世の中には可愛げの無いないガキっているし、私つまんないと結構顔に出るタイプだし、かといって子どもとうまく絡めない女ってレッテル貼られたくないし?

 

メタ認知も相まって甥っ子と初対面した去年の正月はめちゃくちゃ不安だった。

行きの電車は通勤より憂鬱だった。

 

 

 

が、実際に会うと憂鬱が吹っ飛んだ。

 

そして自分でも驚いたが、甥っ子を目の前にした途端自然と屈んで目線を合わせ高い声で

「◯◯くん、はじめまして〜!」「照れちゃったかな?」「知らない人が来てビックリしちゃったよね〜!うんうんゴメンねぇ〜」

と、人見知りが始まった子どもへのはじめまして挨拶チュートリアル(叔母ver)を、誰に教わったわけでもないのにスルッとやった。

 

それは渡鳥が星を見て越冬するような、草食動物が出産後に子どもを舐めて立たせるような、そんな感覚だった。

 

冷静に考えれば、自分が物心つく前後に親戚にされたムーブの焼きましなんだろうが、そういう記憶が鮮明にある訳でもないし、意識した訳でもない。

なんなら1分前まで『自我もあやふやな小さい人間になんて話しかけたらいい訳!?』と思ってたくらいなので、やはり何かDNAから引っ張って来た感じも拭えない。

 

母性本能なんてのは都合の良いラベルにしか思ってなかったので(今もそう思ってる)、この自分の一連の感覚は非常に不気味だった。

 

感覚に反して甥っ子は可愛かった。

 

顔とか仕草とか良い子だとか、そういうの差し引いても可愛い。完全な贔屓目。そのへんにいる街中の子どもより断然可愛いく思える。

 

甥っ子の熱の入ったトミカの話に耳を傾け「うんうん」「そうなの!?」「すごーい」「じゃあコレは?」「そうなんだー!」と言い続けるのが楽しくて仕方ない。一所懸命さが微笑ましくて笑顔がこぼれる。

 

あと何をしても褒めたくなる。褒めちぎって揉みくちゃにしたい。

本当はボディビル大会みたいな捻りのあるワードで褒めたいのだが甥っ子を目の前にすると

「賢いねぇ〜天才だ!将来は科学者カナ?」

とか、浅いワードばかり出力されてしまう。悔しい。

 

あとプレゼントを買いたい衝動がムクムク湧いて来る。

 

意味がわからない。ただの親戚のガキやんけ。

話聞くだけで充分だろ。

いやでも笑顔を見せてほしい。

甥っ子の人生に「楽しい」を増やしたい。

あわよくば「ななちゃんありがとう」とか言われたい。

 

今までに無い感情を持て余した。

 

帰りの電車で「トミカ レア 人気」で検索をかけながら『まぁ1万くらいならdécolletéのリポソーム買わなきゃいける。』とか考えていた。

 

今まで自分中心に生きてきたのに......

 

いや、親や友達にプレゼントをすることはある。結構おせっかいな性格でもあるので誰かのために手間暇をかけることもよくある。

 

だけど『生きてて可愛いから』だけを動機に身銭切ることは、まぁない。

というか、他人の健康や成功を願う事はあっても『健やかな成長』を祈ることはしてこなかった。

 

さらに言うと甥っ子に会ってから、日本の未来も少し気にかかる様になってきた。

 

『明日隕石が落ちて全部が無に帰せばいい』とか『生まれてこない方が幸せだった』みたいな考えは変わらないが、政治とか環境とか、そういうマジで存在する考えないと割とマズイ事に対して『由々しい』と思う様になった。

 

具体的に何をどうするとか、そういうビジョンはないが『自分はこの世に蔓延る老害のケツしばきながら拭いていかにゃならんが、若い世代の子どもには、自分のケツを見せなくて良い様にしたいなぁ。』という感覚が芽生えた。

 

大人になるってこういうことかしら、そういうことなら大人になるのも悪くないわね。

 

なんて思う。いや何もしないんだけどね。偉そうなだけ。

 

ちなみに甥っ子のトミカブームは終わり、今は棘皮動物ブームらしい。渋いねぇ将来は海洋学者カナ?

この盆にはウニの殻をプレゼントする予定。