青を選ぶ話

身体に価値があり金になると知ったのは15年前。

毎日が夜だった。


明けない夜は無いと言ったのは誰だろう。この頃の私はとにかくこの言葉に縋り祈った。眠りから目覚める事はとても辛いが夜と比べれば随分マシだった。


ランドセルを背負い昼に向かう。


授業も、友達も、遊びも、日常の全てをもってしても夜の存在を隠せはしない。むしろその暗さを際立たせてしまう。


今思えば夜そのものは然程怖くなかったのかもしれない。夜を知った自分の方が恐ろしくかった。


そんな日々の中、忘れもしない。調べもの学習の時間に一人誰もいない第二図書室へ本を取りに行った時の事だ。


そこは平日の学校とは思えない程静かだった。少なくとも音は耳に届いていなかった。

その奇妙な心地よさにしばらく動けずにいる私の目に映ったのは、五月の抜ける様な空とそれを遮る窓だった。


夜も昼も選べなくなった私は、青を選んだ。


もう疲れた、と冷たいステンレスの鍵に手を掛け全てを終わりにしようと時、幼馴染の声がした。


資料を取りに行ったきり戻ってこない私を軽く咎めるような声だった気がする。でも名前を呼ばれたのははっきり覚えている。


夜に目をつむり、声に応え、眩し過ぎる昼へと何事もない様に振る舞いながら駆け出した。



あの日から、青がこびりついて離れない。

書きかけのカメと過去

メモ帳から書きかけの物語を発掘した。


......


忙しい3月の終わり、カメから一本の電話が入った。




その日はトンデモなく忙しく皆んな目を回しながら仕事をしていて、そこかしこの電話がプルプルと鳴っていた。

私は課長に頼まれていた戸籍謄本のコピーに追われていたのだが、誰も電話に出る気配がなかったのでA4のコピー紙に埋もれそうになりながら受話器をとった。


「はい。四ツ葉銀行、東京中央支店です。」


馬鹿みたいに繰り返したおかげですっかり染み付いたフレーズが無意識に口から溢れ出る。


私はいつから銀行になってしまったのだろうと思いつつメモ帳とボールペンを手前に引き寄せ要件を待っていると、言葉の代わりに先に不思議な音が聞こえてきた。


一瞬電波が悪いのかとも思ったが、音量を上げていくにつれて、それが波の音ことに気がついた。


ざぁ、ざざん、ざざぁ、ざざん、ざぁ、さぶん。ざざぁ。ざん。ざあぁ。


喧騒も忘れて聞き入っていると、手の甲をギュウと先輩に抓られる。痛みにハッとし顔を上げると先輩が「なにしてるの」と苛立った声で言うので、慌てて受話器に向かって「もしもし」と尋ねる。


それでも声は聞こえず、波の音がただただ右耳に響くだけだったので「お電話が遠い様ですが......」と続ける。


ざざぁ、ざん。ざざぁん。ざあぁ。


間違い電話だったのかな?と思い「一度お電話を切らせて頂きます」と言った瞬間、波の音では無い、低く篭った声が聞こえた。


「もしもし」


ボールペンを握る力が強くなる。


「お電話、ありがとうございます。四つ葉銀行、東京中央支店でございます。」


いつもよりもゆっくり、はっきりした口調で名乗る。声のトーンからして、ご年配のお客様だろうか。


「はい、私はガラパゴスゾウガメでございます。」


その瞬間、ザブンと一際大きな波の音が身体に響いた。


      

遠い記憶が蘇る。と言っても3ヶ月前なのだが、今は昔の事のように思える3泊4日の泊りがけの研修の記憶。


研修所の、無機質で築年数を重ねていることを誤魔化しきれない黄ばんだ壁が印象的だった。


綺麗なテトリスのように組まれたカリキュラムの中に、その授業はあった。

すこしヨレた紺のスーツで、妙な柄の分厚い生地のネクタイを締めた白髪のおじさんが話を始める。


なにかこれまでの人とは違う柔らかな雰囲気に、皆は眠たさを露骨にしはじめていたが、私はなんだか惹かれて他の事業の話よりも真剣に聞いた。


「みなさんもご存知とは思いますが、この国にも数万件登録されている人的動物には金融機関と取引をする権利が各都道府県より付与されています。そのため、ウサギやアヒルが口座を作る事も可能です。」


そう言えば、喋れる猫が権利を主張して裁判を起こし勝訴していたニュースがあった。なんの権利かは、忘れてしまったが。


「そのためいつか、あなた達も人的動物をお客様として迎える日が来るかもしれません。確率はそう高くは無いですが、備えあれば憂いなしという言葉もあります。そのためこの時間では人的動物を相手とした際の事務取扱いと注意事項についてお話しします。」

......



書いた事自体すっかり忘れていたので「へーえ、ふーん。」と他人事の様に読んでしまった。


私のスマホには、こういう書きかけの話が山の様にある。書ききればいいものを、集中力がないばっかりに途中で飽きてほったらかしにして溜めてしまうのだ。

もう書かないのなら消してしまえばいいのに、それはなんだか惜しい気がして未練がましく残してしまう。


文章の他にも、色んな中途半端にぶら下がったまま捨てられずにいるものが私の中には沢山ある。



あの日言いかけた言葉、我慢した涙、片思いの記憶、落ちたままの恋。



無かったことには出来ないのだから、せめて箱にでも閉まって封印でもしてしまえばいいものを、いつまでも片付けもせず置いておくから何かの折に躓いたりなんかして思い出し、風呂場で呻いたりする。

 

なぜ片付けられないのか。


世界一旅行にいくと言う友人が、出発前の食事会でこんな事を言っていた。


「人間はね、2種類に分けられると思うの。未来を生きる人と、過去を生きる人。」


てっちりを頬張る友人は過去よりも未来を見つめて生きてゆける人だったが、私は完璧に後者だった。


私はいつまでも過去に縛られ続けるタイプの人間だ。それが幸せなモノならいいが、呪いのような記憶も混ざってるので、蛇のように執念深くいつまでも過去の恨み辛みを反芻しては呪詛を唱えている。


過去のしんどい事を全て抱え続けているのだから生き辛いに決まっている。早いところ一掃してしまえばいいものを、私は思い出を映す万華鏡に魅入られて離せない。


良い過去だけを抽出できたら良いのだが、幸せと不幸はみちっと癒着して剥がせない。


こうなったらスイも甘いも全て背負い込める人間になるしかない。今はまだ上手くいかず押し潰されそうになるが、1つずつ拾って積み重ねていこう。そうしたらいつか物語の続きを完成させる日が来るかもしれない。





私とて、ガラパゴスゾウガメの用件が気になって仕方ないのだ。

悪魔と後輩、人間の私と

私が初期配属の部で破茶滅茶に虐められて病んだのはもう何回も話してきたと思う。


しかし、今度は今年入った新人がスケープゴートになっているらしい。


同期から相談を受けて知った。





「どこの部にも、酷い人はは居るもんだ。」


人は言う。




しかしアノ部には、人間の腐った根性を煮詰めて固めた人外が4人もいる。



4匹の悪魔が寄ってたかって新人を虐めている。


それが、私がいた部。今、顔も知らぬ後輩が苦しんでいる部なのだ。


一年前にブラックアウトをしてからアノ部、あの地獄を思わなかった日はない。




ミスを詰められる

ノルマがキツイ



そういうことではない。

もう、居るだけで虐められるのだ。ロクに仕事は教えてもらえない。ミスをしたら二度とその仕事はさせてもらえない。一つの小さな失敗を、まるで人でも殺したかの様に大ごとにして、集団で攻めて上席に報告し詰めに詰める。


結果で見返すなんて出来ない。

仕事を回してもらえないから。

他の人に助けてもらうなんて出来ない。

4匹の悪魔に逆らうのが怖いから。



中世ヨーロッパの魔女狩りの方が潔がいい。

魔女討伐の大義名分があるから。

大正の村八分の方がまだ救いがある。

火事葬式は手伝ってもらえるから。



この世で一番悲しい事は、必要とされない事だと私は思う。


会社に行って、仕事をさせてもらえず日々瑣末なことで叱り飛ばされ人格を否定される苦しみは並ではない。


あの頃、私は毎日泣いていた。

帰りの電車で、昼休みのトイレで、階段の踊り場で。


でも、その後輩は泣かないのだという。


皮肉な事に、泣かない事が事態に拍車をかけているらしい。




私が今居る部は、うまくいかないと事もあるが、会社として勤めるのに特段問題はなく、アノ日々の後遺症を引きずりつつも日々を過ごす事が出来ている。


しかし同じ会社に、いまだ地獄が確かに存在している。その事実が私を苦しめる。




私は軽々しく地獄と名を打っているわけではない。あそこは人の心を持たない悪魔が醜い欲を満たすために居る、本物の地獄なのだ。


随分感情的に、詩的に描写しているなぁと笑う人もいるかもしれない。


しかし、一般人の想像を絶するおぞましさがそこは確かにあるのだ。たかだか会社の一部署が、こんなにも救いのないコミュニティになり得るのかと、疑わずにはいられない酷さが蔓延しているのだ。


あの日々を思い出すと、私は心から人間に生まれた事を後悔する。

人でなくなった者の業の深さと、それを傍観する事しか出来ない人間の心の弱さに眩暈がする。



同期は私に、その後輩に会ってほしいといった。






地獄に通う彼女に、私は何を話せるだろう。

 

まだ若すぎる

LAWSONで買ったタラコスパに醤油を一回しかけて、スーパーなんかで売ってるシソ梅干しをちょっと入れてぐるぐる回すと

「私って天才シェフだっけ?とりあえず恵比寿と六本木に店出してミシュラン来るの待っとく?」

と言ってしまう程美味いパスタが出来上がる。


それを食べながら友達の家で好きなものを見て好きな様に語り笑って眠くなったら寝て起きたら日曜の11:30だった。


5度寝位したせいか、ひどく長い2本立ての夢を見た。


私は寝て見た夢の中の感情が起きても残る厄介なタイプなので、友達の布団にくるまりその余韻にしばらく浸る。


その後、もったりとした頭で出町ふたばのわらび餅を食べながら窓を見ると、抜ける様な青空でなんだか笑ってしまった。


昨日友人と行った神社でびしょ濡れになりながら絵馬に書いた「雨との縁を切りたい」という願いが早速成就したらしい。


中学の頃からの気の置けない友人が大阪配属になってからも、週末を使ってこうして会いに行き、心地よい気だるさの中布団に横になりなんてことのない事で笑い合えるのは本当に幸運な事だと思う。


塩分過多パスタのせいで浮腫んだ指でスマホを開くと13:00。

 





どこかで凛、と平成最後の最高の夏が始まろうとする音がする。






全ての物事は始まった瞬間から終わりに向かって進み出す。私にとってそれは救いであり悲しみでもあった。


小学生の頃には既にこの感覚に苛まれていたため、大好きな土日が終わる予感を金曜日のドラえもんで感じる様な子供だった。


大好きな時間が終わりに近くと、心の位置は胸にあるのだと再認識するくらい、ポッカリと穴が空くようにすーすーと寂しくなる。


帰り道で友人に、どれだけ楽かったか、そして名残惜しいかという思いを伝えるのがどうにも恥ずかしく、モゴモゴとまとまらない言葉を零した後、それじゃあと言って改札をくぐる。


見送られた後の高槻の電車で見上げた空は青く高く秋のそれに似ていた。


夏の直前の空はこんな風なのか。






私は少し前まで、王子と結婚すれば幸せになれると意地悪な魔女に騙されて呪いをかけられていた。


私と同じ瞳をした魔女だ。


しかし来ぬ人を待つというのは想像より残酷な時間で、疲れ果てた私はついに先週、同期の友達との飲み会の帰りに一人日比谷公園にしゃがみ込み途方にくれてしまった。


どれくらい座っていたのか。

長針と短針が重なり合う寸前、街頭の灯りと走り去っていく車のライトに当てられた瞬間、不意に全ての呪いが解け、色々な事を思い出し、そして静かに理解していった。


「そっか、そうだったのか。」



・・・



初めて使った新幹線のネット予約サービスに手間取り、新幹線に滑り込む様にして乗り込んだせいで髪が一束ドアに挟まった。まさに間一髪である。


指定席窓側A席に座り、もう一度空を見る。


あの時日比谷公園で解けた呪いが教えてくれた。


「あぁ、旧友と自由に遊び笑い語る事の楽しさよ。私はまだ、もう少しこの楽しさに浸っていたい。」


平成7年生まれのゆとり少女は、自力で稼ぎ好きな事をする自由の楽しさを知る女になったわけだ。


誰かに選ばれるのも、誰かを選ぶにも、私にはまだ若すぎる。

23年生きてきた事なんて関係ない。今の何も出来ない私にはまだ早すぎる。





そういえば今年の10月はハワイに行く。

あそこの空は今日の空の青より青いだろう。






私はもっと迷いたい。

十戒クイズ

私は世界中の神様を信じている。

正確に言うと「信じる時もある」。




私の懺悔室は大体トイレだ。




今日も神様に祈りを捧げた。


頭が痛い時は横になって目を瞑るだけなのに、お腹が痛い時はトイレで手を握り世界中の神様に懺悔をはじめてしまうのは何故だろう。


神様仏様イエス様。アッラーにシヴァ、ゼウスお願いです。明日から清く正しく美しく生きるので、どうかこのお腹を鎮めて下さい。


頭の中でグルグルとマニ車を廻しながら、白い小さな匣の中、陶器の椅子に座り祈る。

きっと世界のどこかに同じ様な不遜な教徒が居ると信じながら。





より良く生きたいけれど、あんまり努力はしたくない。そんな事を考えながら食べるランチのアボガドマグロ丼は美味しい。


苦悩と成長が生きる糧になる、暑い夏の日に向かって咲くひまわりの様な人も居るだろう。

生憎私は紫外線過敏症なので、湿った穏やかな土地で苔のようにひっそりと生きたい。出来る事なら盆栽の土の上で甘く柔らかな水を感じながら生きたい。


ふと窓に目をやると、向かいの工事現場で二台のクレーンがゆるりゆるりと鉄骨を運んでいる。キリンの親子が草を食む姿を彷彿とさせる風景に少し笑う。


こういう幸せを抱きしめる喜びを忘れてはいけないと思いながら会計を済ます。


「1080円です。」





あの日釣ったザリガニにも母はいたのだろうか。だとしたら、昨日はどんなカーネーションを贈ったのだろうか。


そう思いながらデスクで食べるハイチュウにはグミが入っていた。


「これぷっちょだわ。」


瑣末な差の様で重大な違いである。願わくばそうしたちょっとした事を大切にしていきたい。ハイチュウもぷっちょもキャラメルもボンタンアメも、一括りにされたら嫌だろう。


私だって一緒にされたくない人がいる。宇宙人規模でみたら、浜辺の砂粒以下の存在の私でも、譲れない個がある。


大切にしたい心掛けがある。飽きる事なく反芻する。


早寝早起き 無理をせず 美しいモノを見て モルモットを愛し インコと語る 美味しいものを食べ 魔法を信じ 風呂を愛して 柔らかい場所で眠る そして......


OL旅行記(散文ともいう)

OLが行く!湯けむり慰安バスツアー!


品に欠ける電車の中吊り広告の様な出だしになってしまったが、文字通り、この土日は会社の仲良しの同期と温泉バスツアーに行って来た。


私は、旅行はどこに行くかという事よりも誰と行くかが重要だという考えのため、行き先は友人に任せ、ギリギリまでどこの温泉に行くかチェックしておらず3日前あたりにようやく栃木の日光・鬼怒川温泉に行く事を知った。

 

どこの温泉に行くのかと親に聞かれ「きどがわ温泉」と返し怒られたのは内緒だ。


幼い頃から重度の花粉症のため、日光の杉山を恐れ、アナフィラキシー覚悟で臨んだ旅行だったが、万全を期したからか然程影響はなかった(友人は一度瀕死になった)。




余談だが。


花粉症の薬は大きく分けて2種類ある。抗アレルギー薬と抗ヒスタミン薬だ。


前者の薬は病院でしか貰うことが出来ない。手間だが、抗アレルギー薬は花粉飛散の1ヶ月程前から飲む事で大きな効果を得る事ができ、且つ保健が効くので非常におすすめだ。

手軽にドラッグストアなどで手に入る後者の抗ヒスタミン薬だが、副作用として眠気と喉の乾きがあり、また飛散量の多い地域に行くと症状を抑えきれなくなる為注意が必要となる。




突然語りだして申し訳ない。花粉症についてアウトプットする機会に中々恵まれない為ついこの場を借りてしまった。


話を戻すが、栃木は東京に比べるとまだ寒いが、春の訪れはそこかしこに現れていた。


都会ではあまり見かけないつくしが生えているのを見つけた時は結構興奮したが、皆はあまり興味無いだろうと思い、ひとり万年筆のようなフォルムをまじまじと観察したりした。


ツアーの為、日光東照宮やスイーツ食べ放題店、おかき工房など、色々な場所をバスで巡っていった後(イタリアのパックツアーを思い出した)、宿泊する温泉旅館で降ろしてもらった。




温泉は、良い。




人によってはデカイ湯船くらいの認識かもしれないが、プラシーボ効果を差し引いたとしてもやはり疲れが溶け出して行く様な気がしてならない。


うぅ、だとか、あぁ、だとか言いながら熱い湯に浸かり、頭にタオルを乗せサイコーだねと顔を見合わせた瞬間、OLになった事を実感する。


大人になれた。なってしまった。


 


早めの夕食を済ませ二度目の入浴を済ませた後、部屋へ戻ると布団が敷かれていた。上げ膳下げ膳至れり尽くせり、旅館の醍醐味である。


布団を見た瞬間、電気も付けずに自己主張の激しい性格の人から順に(私は2番目だった)目ざとく各々気に入った布団へダイブしたが、それでは不公平だという事になり結局ジャンケンで場所を決めた。


そこでとりとめのない話をぽつぽつとした。

具体的に何を話したか、もう思い出せない程なんて事のない会話だったのだが、その時間が一番フラットな自分で居る事ができた気がする。


ふと、スマホに着信が入っている事に気付く。折り返すと、母からの祖父が倒れたとの連絡だった。

祖母が亡くなり早8年、やや不謹慎だが、祖父もよく生きてきたよな。と思いながら翌日早朝東京に向かう事を約束し切電。


皆にその旨を伝えると、私以上に祖父を心配をしてくれ、先に帰る身勝手さを責められる事はなかった。


その後、畳の上で円になり座っていた事や部屋の雰囲気も相まって、段々レクレーション的なゲームをしたくなり、急遽人狼の親戚の様なゲームのアプリを入れ(こういう時にスマホの便利さに改めて気付かされる)深夜1時までゲームで盛り上がり、その後誰ともなく布団へ滑り込み電池が切れた様に眠りについた。




仕事の夢を見た。

もう詳しくは思い出せないが、私は仕事に必要な承認を貰おうとするのだが誰も応えてくれずフロアをウロウロしていた。すごく心細かったのは鮮明に覚えている。


困り果てた時、デスクの上の私の携帯が震えた。昔使っていたピンクのガラケーからperfumeのlovefoolが流れる。なんの違和感も躊躇もなく(夢の中だから)出ると、同期の友人からだった。


「どうしたの?」


あのね、と言い出した瞬間、誰かのアラーム音で目が覚めた。


ぼんやりとした意識の中「後5分寝ます......」と言ってもう一度目を瞑る。


結局15分追加で眠った。




朝食と身支度を済ませ、バスツアーの続きに向かう同期と旅館の入り口で別れる。


「次会うときは2年目だ。」


内定者時代に出会い、辛酸を共にした皆と共に新人を終える事に喜びと一抹の寂しさを覚えながら手を振った。




乗車券と特急券の認識がごっちゃになりながらもどうにか切符を買い、一人スペーシアに乗り込みイヤホンを耳にはめる。


東京に居る時はハイテンポなシティポップを好んでいるが、こういう時に聞く音楽はスローテンポな昔のヒット曲に限る。


車窓からは山や田畑、民家。ぽつぽつと梅も見える。なんと穏やかな春の風景だろう。

いっそCarpentersのTop of the worldくらいカントリーな曲でもいいかもしれない。


車内販売で買った220円のアイスコーヒーのプラスチックカップと窓ごしに流れる景色をぼんやりと眺める。


春の陽気で生まれた氷まわりの結露がキラキラと外の菜の花畑を反射している。


ふと夢に出てきたガラケーと同じ様な色の車が目に入った。

珍しい色だと思いよく見てみると、運転席からチラリと女性の和服の袖が見えた。


それだけの事なのだが、胸がグッと熱くなる。

自分とは全く異なる他者の営みを垣間見るというのも、旅行の良さの一つなのかもしれない。


祖父は今どうしてるだろうか。

悠長にまばたきをしながら、春の日差しに照らされた病院の白い壁を思い浮かべていると、次は北千住とのアナウンスが流れ出した。

OL日記(散文ともいう)

胡乱な意識を洗顔と化粧で叩き起こし、小走りで家を出る。暦の上では春、体感は冬。

天気のせいで、電車から見える景色がいつもより暗い。重たい雲の中にスカイツリーの先がとっぷりと入り込んでいるのが住宅の隙間から見える。朝日もその厚い雲で遮断され、いったい何時なのかなのかがわからなくなっていく。

私の寝て見る夢も、丁度この車窓の様に彩度が低いので、ずっと眺めているとまだ寝てるような気さえする。が、こんな満員電車の中、他人同士が遠慮無しにぎゅうぎゅうに押し合ってるこのリアルな人の熱が夢であるはずかない。
窓に手をつくとガラスに手の跡がひやりと残る。やはり私は目覚めているし、季節はまだ冬なのだ。


電車から吐き出される様にしてホームにおりる。メトロ直通の弊社は、いかにも大手町といった感じのガラス張りのビルなのだが、私は結構気に入っている。むしろこのビルに惚れて入社したと言っても過言ではない。安直な理由だ。
長いながいエスカレーターに乗りながら、前の部署の人たちの事をぼんやり考える。皆どうしているのだろうか。知りたく無いのに考えてしまう。
そのせいでエスカレーターから降りてもぼんやりしてしまい、社員証を出すのにもたついてしまった。


9時始業、大量の住宅ローンの書類に目を通す。貸す側が言うのもなんだが、みんなよくこんな大金を返す当てがあるもんだと毎日関心する。
当たり前だが、借りる金額が大きくなればなるほど、返せなくなった時の為の担保が審査において大切になってくる。

愛にも担保があるといい。人はそれを結婚と呼ぶのだろう。
しかしそんなのあんまりだとも思う。結婚は、打算も欲望も掻っ棄てた先にあるものであって欲しいと願うのは、大人になり損ねた証拠なのだろうか。


目眩がする程の空腹に耐え兼ね、ホワイトボードにLと書き気味少し早めのランチに出る。
ストールを肩にかけ、小さなバックに財布と携帯、化粧ポーチを入れて、いい感じのお店をふらふらと探す。
こうして昼に社外に出るのはまだ慣れていないため、なんだか丸の内OLのコスプレをしているような一抹の気恥ずかしさがある。

ふと、今日は新作リップの発売日である事を思い出す。私は大して気に留めて無かったのだが、幼地味が「絶対欲しいのに買いに行く時間が無い」と言って暴れていた。私はどうも幼馴染に甘いので、空腹の中2つ向こうのビルへ買いに行く。色ははなんとかピンクとホニャララピンク。

ピンクはバリエーションがあり過ぎる。最早名付けた者勝ちな風潮さえあるが、色はもっと大切にしなければいけないと私は常々思っている。
色は人を絶対に裏切らないからだ。


丸の内唯一のドラックストアであるアメリカンファーマシーへと入り、目当てのリップを探す。
レジ横の目立つ場所にあったので探し物が下手な私でもブランドブースを比較的早く見つける事が出来たのだが、肝心の新色が見当たらない。

「すみません、このブランドの新作のリップは......」

「申し訳ありません。ご用意がありません。」

もしも私の人生が漫画なら、間違いなく頭上にガーンと表示されているはずだ。

驚きと悲しみが混ざった感情をガーンと表現した人は偉い。驚きと落胆をオノマトペにすると、ガーンとしか言いようがない。

「元々入荷してなかったんですか?」

「いえ、今朝開店と同時に即完売しまして......」

えぇ。とマヌケな声を出した後、定型文的お礼を告げ店を出る。

丸の内に朝一でリップを買いに行くだけの余裕がある人が結構いるのだ。
みんな案外暇だな。と思いながらスープランチを食べる。

友人が手に入らなかったと言って更に暴れる姿を想像して少しだけ苦笑いし、仕事に戻る。


夜、幸せの事を考えながら入浴をする。
「終わりの見える幸せは幸福と呼べるかしら?」
浴室に少し響くだけで返答はない。
終わりがあるから人生は美しいと誰かが言っていた。しかし、幸せはあまりに儚い。 

私は永遠性を持つことを恐ろしいと感じる人間だが、唯一「あなたの事が好きな私の事をあなたも好き」という幸福だけは、永久に続きますようにと祈らないではいられない。

しかし愛はナマモノであり、その変化を止める事は出来ない。愛を切り取り閉じ込める事は不可能ではないが、それは離別を伴う悲しい儀式が必要になる。 


風呂からあがり髪を櫛でとかす。昔に比べて少し髪の量が落ち着いた気がする。手触りや艶も変わった。今昔、どちらが良い悪いということではない。ただそこに変化の跡があるというだけの話だ。

たとえ変化したとしても、私は私、愛は愛のままでいてほしいと考えながらドライマンゴーを食べる。


明日は、今日と似て非なる一日になるのだろう。
それは幸福か不幸かを考えながら布団に入ると、トロトロと意識が融けていき、たっぷりのぬるま湯の中で毛布に包まるような心地よさの中、少しずつ......眠りに......